2012 勝沼フットパス・ウェルカムツアー
20121125


〜盆地の眺望が美しい、菱山ぶどうの里を歩く〜

 
〜菱山の由来〜
『甲斐国志』は、菱山の地名の由来を「村の南に菱平山に雄菱、雌菱というところあり、この山形をもって村名とするか」と記しています。

 ■行程約3km
スタート:JR中央線勝沼ぶどう郷駅前公園⇒ レンガ隧道⇒ 苦名(にがな)の坂道⇒ (甲府盆地の眺望) ⇒ 三光寺旧跡⇒ 三光寺(本堂、庭園、太子堂、大杉、消防小屋など) ⇒ 菱山財産区事務所⇒ スイッチバックの引込み線跡⇒ 中央線の跨線橋⇒ 旧勝沼駅プラットホーム跡(甚六桜公園)⇒ゴール:JR中央線勝沼ぶどう郷駅前公園(電気機関車EF64 の車内見学)


1班の様子
2班の様子
3班の様子




甲州市勝沼町菱山地区は甲府盆地の眺望が美しい静かなぶどうの里、起伏のある斜面に波打つように広がるぶどう畑の間の小道を巡りました。

 


待ち受けのガイドさんから話を聞く





レポート
 

 
 
光連組の道祖神場
 菱山の県道ガードの東に、丸い石の道祖神とともに、元禄14年(1701)に建立された「笠付き庚申塔」があります。正面には「奉庚申供養講中四人」と三猿(見猿、聞猿、言猿で、庚申の日から庚申の日まで60日間に自分が行った悪いことを、閻魔大王に伝えないでほしい、という願いの象徴)が、側面には鶏(庚申講の夜、鶏が鳴くまで寝ないで頑張る、という意志の象徴)と建立年月日が刻まれており、庚申塔としては勝沼町内でも古いものです。このほか、安政3年(1856)の馬頭観音や特徴的な地蔵、自然石の神などがまつられています。光連組という名称は、明治初期まで光連寺という寺があったことに由来しています。


菱山の馬頭観音
 勝沼町内で馬頭観音の数が最も多いのが菱山です。最も山奥は大瀧林道の上、深沢に至る峠道の途中にあります。傾斜地が多い菱山では、自動車が普及した戦後まで農作物や山の木の運搬に馬が活躍した時代が続き、馬がケガをしたり倒れた場所には、飼い主が供養のために馬頭観音をまつりました。このため、馬頭観音のある場所は、足場が悪かったり、坂がきつかったりすることが多く、馬主は観音様の前を通過するときには、馬をいたわり、気を引き締めて通るようにしていました。


 
菱山の地神尊
 地神は大地の神を祭るもので、菱山地域の「地神」碑は大正4年から6年にかけて造立、されており、いずれも大正2年勝沼駅が開設された後に建立されたことがわかりますが、そのきっかけが何であったのかは、まだ分かっておりません。

重連山(思連山)オモレヤマ
 菱山と小佐手の境にある標高502mの山。小佐手側では東林山とも寺山とも呼び、菱山側では重連(思連)山とも女性の寝姿に似ていることから寝姿山とも女体山とも呼ばれ、北端の小山を別に小丸山とも呼ぶ。オモレは大きい山(ムレ)を表す古いことばオオムレに由来し、東林山は西の山裾にある東林院の境内であったことに由来し、山頂に富士塚の名を伝える境塚があります。

菱山の道
 菱山の道は沢筋や尾根筋に設けられた縦道と等高線にそうように作られた横道があり、この道筋のなかでも主要な道が「横三本縦三本」という言葉で伝えられている。このなかでも尾根筋の縦道の多くは、一定の距離を下ると必ず尾根を横断するような横道に突き当たるように造られている。これは、大雨の時、道筋にそって走る雨水を横断道で両側の沢に逃がし、尾根筋にある耕地や宅地を護る工夫である。

   
   
   
   
三光寺の消防小屋
 三光寺の山門脇に古い消防小屋があります。ホーロー引きの鐘の打ち方の説明版などが残り、菱山地域の近代消防の面影を今に伝えています。
   
   
   
   
   
   
   
   
三光寺の太子堂(市指定建造物)
 太子堂は、本堂の裏、庭園の脇にあり、中世の作と伝えられる二間四方の小堂です。正面の四神像を刻む唐戸など、ところどころに禅宗様式の技術が施されています。全体に繊細さの感じられる簡素な仏堂で、平成12年の解体修理のとき、漢文10年(1670)の墨書銘が発見されました。等々力山万福寺の経蔵を移したといわれ、江戸初期の貴重な遺構です。

   
   
   三光寺の大杉(市指定天然記念物)
 康永元年(1342)、三光寺が現住地に開かれたとき、植えられたという伝説を持つ杉の木は、松、ケヤキ、ナラとともに、三光寺四大木として、江戸時代から著名な巨木です。幹上半分を欠失しているものの樹勢はよく、目通り6m、樹高20mあり、勝沼町内随一の巨木です。
 


2班の様子

「2班の皆様、村田ガイドの秘蔵写真による、町民でも知らないすばらしい場所ごと、季節ごとの景色の紹介はいかがでしたか。」




 
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