2010 甲州勝沼フットパス祭り・ガイドツアー

20101128



甲州市勝沼町の綿塚と休息を巡ります。農村集落として形成された両地区は、その昔、道者と呼ばれる巡礼者が行き交った街道筋にあります。由緒ある寺社はもとより、路傍の道祖神やお地蔵さんにも興味深い言い伝えが残されています。













ぶどうの里の歴史を訪ねて
綿塚・三社巡りと 休息・道者街道をゆく
天候にも恵まれ80名ほどの参加者がありました。
3班に分かれてガイドツアーに出発
日川沿いに等々力地区に向かいます
町民はこの川をヒカワと呼ばずニッカワと呼びます
・武田勝頼の田野の戦いの末、3日間にわかり血が流れた(三日血川、ミッカヂガワ)が語源とも、氏神様の氷川呼び捨てることを嫌ったためとも言われています。
日川の流域には70を越す川に垂直な堤防が築かれています(日川水制群)
明治40年の大水害の際に作られました。
大正期にはいると堤防を埋め戻したあとにできたぶどう園にいっせいに実がなり始め、出荷調整のため対岸の丘陵地形を利用して石倉冷蔵庫がつくられ、いまも現存しています。
中世につくられた箕輪堰の取り入れ口。今日はこの箕輪堰をつたって歩いていきます。
ぶどう園の中に立つ自然石の像「ちゃあぶきばあさん」お茶をお供えすると喉の痛みがなおるといわれています。
その畑の持ち主さんもお向かいさんも「へえ〜そうだったんだ」
石積みが素晴らしい等々力地区南部
常夜灯と球体の道祖神と延命地蔵尊
等々力地区は甲州街道の勝沼宿と栗原宿の間にあり常夜燈は等々力地区の村人が街道を行き交う旅人に灯りをともしていました。
万福寺の総門からの参道



綿塚地区

綿塚は、村内に大石神社、飯縄神社、天神社の三社の立派な境内があるが、寺を持たない村である。
綿塚地区は平坦な地形で桃栽培が盛んで桃の花見のスポットでもあります
大石神社は馬の蹄の跡がある石を祀っている。綿塚地区の氏神様。聖徳太子の牧もこのあたりにあったのではないか
箕輪堰と二郎堰を神社で合流させている
水の争いごとが起きないように
罵倒観念実は道路標識のような役目も果たしていました
綿塚地区にの唯一存在する仏教的なもの地蔵堂
飯綱神社の南にある堂じゃ街道の道しるべ
飯綱神社にて小澤会長(勝沼フットパスの会)から綿塚地域の歴史を
太枡騒動(百姓一揆)の主宰者、三沢重右衛門さんの子孫である三沢行雄さんからのお話
地域の歴史をよく知る坂本元太(もとたか)さんから綿塚地区のお話し
古民家に手を加えお住まいの三木さんのお宅を拝見
三木さんは陶芸家でもあります
コロボックルさんの差し入れ「妖精コーヒー」をいただきながら
小休止
綿塚地区は花火も盛んに上げられていました。商業的に発展したのが市川三郷町です
ゴール地点で振舞う甲州ぶどうの手入れをする小澤会長
脚立が記憶する果樹地帯の歴史を知ります
故郷の川「田草川」
勝沼生まれ勝沼育ち、勝沼を出たところで重川に合流します。私たちはこの田草川の定期調査をし、川ガキ(川であそぶ子ども)を増やす活動もしています




休息地区

休息は心の安らぎを求めてくる人々を迎えた村です。始まりは子安地蔵に安産を願う人々が、真言宗になってからは富士と金峰山への入山を願う道者が、日蓮宗になってからは身延と東身延を行き交う白装束の信者が訪れました。
 休息の家並みを南北に貫く道は道者街道と呼ばれています。道者は十六世紀の様子を記した『妙法寺記』などに「富士の道者」などと良く使われている、参拝などの目的のため旅する人々を指し示す言葉で、現在では行者と言った方が分かりやすいかもしれません。道者街道は黒駒で御坂路から分かれ、峡東地方の中央部を南北に抜け秩父あるいは、金峰山に至る中世の信仰の道で、通過する各地に地名や伝承、中世の塚などが残されています。
 休息の道者街道を歩くと、道の両側に板塀や築地塀、長屋門が並び、現在ブロック塀となっている所も、基礎にしっかりとした石積があり、元は板塀であったことが分かり、街道沿いから脇道に至るまで皆板塀の続く独特の景観をもっていたことがわかります。
 復元される休息の町並み景観は、門前町ともまた宿場などとも違う独特な街村構造をもっていたと考えられます。この町並み景観に近いのは、明治年間に描かれた富士吉田市の御師の町の図が参考になります。休息にある、街道から屋敷内の道(辰道)を通りその奥に門を構える造りなどは、御師町では良く用いられる屋敷構えです。道者街道に沿う河口にも吉田以前の富士登山の御師がいたといい、休息も中世の道者の宿、御師の村であった可能性が考えられます。さらに、村の黒塗りの板塀は、立正寺総門ら山門までの、参道両側の塔頭群の白壁の塀と対を成し、白と黒を使い分ける色彩配置があった様に思われます。
 また、立正寺境内に残る叢林は、東郡の平坦地に残された貴重な緑地となっており、その中に立ち並ぶ江戸中期の建築群とともに、中世大規模寺院の威風を伝えています。
道者街道休息地区入口
中世時は修験僧が、江戸時代には身延詣での人々が行きかった街道の家並み
立正寺の黒門(総門あと)
県内最古といわれる下馬碑
いかなるものもここで馬をおりて参拝をする
総門から望む立正寺参道
万福寺の参道も同様、中世の寺院境内形成の一般的な形
休息地区には神社が無く、真言宗から改宗した日蓮宗の石柱がいたるところにある
立正寺山門
参り墓地(埋め墓地・参り墓地制)
ゴール 休息自治公民館

勝沼フットパスの会、雨宮さん、小出さんコーディネートによる門前ランチプロジェクト

かつぬま朝市出店者による参道出店
地元休息地区の佐野さんも特別出店
富有柿1ケ10円!
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